今日は日本人初飛行から110周年!

2020年(令和2年)12月19日(土)[ブログ番号:14]

跡地・発祥の地めぐりシリーズ #4

動力による有人飛行機で、世界で最初に飛行に成功したのは、ご存知の通り、兄ウィルバー、弟オーヴィルのライト兄弟です。

1903年12月17日、アメリカ・ノースカロライナ州キティホーク近郊(キル・デビル・ヒルズ)において、ライトフライヤー号という飛行機で、世界初の有人動力飛行に成功しました。

これ以降、欧米では航空機の開発が盛んに進められました。明治維新以降、富国強兵策を進めていた日本も、その動きに乗り遅れてはならないと、「臨時軍用気球研究会」という国家的プロジェクトを立ち上げます。

そして、ライト兄弟の初飛行から7年後の1910年(明治43年)12月19日に、東京・代々木にあった陸軍練兵場で、陸軍軍人の徳川好敏と日野熊蔵が、ドイツとフランスから輸入した飛行機で、日本の空を初めて飛びました。

代々木練兵場のあった場所は現在は代々木公園になっていて、「日本初飛行の地」という碑もあるそうで、写真を撮ってこようと思ったのですが、東京都内では今月に入りCOVID-19(新型コロナウイルス)の感染者数が急増し、不要不急の外出の自粛が要請されています。

このブログに載せる写真を撮るために都内にお出かけするのは、どう考えても「不要不急」だろうと思ったので、自宅の近所で済ませることにしました。

私は現在、千葉市美浜区の、JR稲毛海岸駅の近くに住んでいます。なんと、稲毛海岸にはかつて日本初の民間の飛行場があったのです。

日本初の飛行場は、日本人初飛行から約3ヶ月後の明治44年4月に、埼玉県の所沢で陸軍によって造られました。

前述の「臨時軍用気球研究会」には、奈良原三次という人が技師として参加していました。男爵家の生まれだったので、研究のための豊富な資金があったため、その後研究会を離れて、独学で航空機の研究を進めます。

そして、ついに「奈良原式」という飛行機を完成させ、明治44年5月に、完成したばかりの所沢の飛行場で初飛行に成功。これが、飛行に成功した国産飛行機の第1号となったのです。

しかし、軍の組織が大きくなると、民間人である三次は、所沢の飛行場から締め出されてしまいました。いくら男爵家の生まれとはいえ、自前で飛行場を作る資金などありません。

そこで、三次が目をつけたのが、たびたびリゾートに訪れていた稲毛海岸だった、というわけだったのです。

当時の稲毛海岸は、遠浅の砂浜が広がり、干潮になると荷馬車が通れるくらい砂浜が締まって硬くなるのを見ていたのです。砂浜なら、飛行場に必要な広大な平地を整備する必要もありません。

そして、地元の漁民と交渉して、ついに明治45年5月、稲毛海岸に日本で初の民間飛行場を完成させたのです。

飛行場があった干潟は、戦後埋め立て造成工事が実施され、現在は稲岸公園という公園になっています。JR京葉線が近くを走り、巨大な団地群が広がり、いろんなお店もたくさんあって、完全なベッドタウンになっています

稲岸公園には「民間航空発祥之地記念碑」というモニュメントがありますので、行って写真を撮ってきました。

👇高さ10メートルほどあり、飛行機の翼を模した立派なモニュメントです。でも、建てられたのが1971年ということもあり、かなり老朽化していました。

(撮影地:千葉市美浜区稲毛海岸 撮影日:2020年12月12日)

👇記念碑の横には、松の木が立っていました。この松は、なんと、ライト兄弟が初飛行を成功させたキティ・ホークの丘に生えていた松の木の種から育てられたものだそうです。

(撮影地:千葉市美浜区稲毛海岸 撮影日:2020年12月12日)
(撮影地:千葉市美浜区稲毛海岸 撮影日:2020年12月12日)

稲毛海岸には、民間航空発祥の地ということで、「稲毛民間航空記念館」という施設もありましたが、2018年3月に閉館してしまいました。以前、その記念館に訪問して写真を撮っていました。

👇当時の、稲毛海岸の干潟に作られた飛行場の模型もありました。横のボタンを押すと、飛行機が滑走路を一周する仕掛けになっていました。

(撮影地:千葉市美浜区高浜(稲毛民間航空記念館内) 撮影日:2015年6月8日)

👇奈良原三次が作成した奈良原式4号機「鳳(おおとり)」号の復元機もありました。翼が上下にある、複葉式と呼ばれる形で、上翼と下翼が前後にずれているのが特徴だそうです。

(撮影地:千葉市美浜区高浜(稲毛民間航空記念館内) 撮影日:2015年6月8日)
(撮影地:千葉市美浜区高浜(稲毛民間航空記念館内) 撮影日:2015年6月8日)

以上